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		<title>株式会社化</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Aug 2010 03:29:46 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[Information]]></category>

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		<description><![CDATA[これまで、運営してきた設計事務所を株式会社化し、設計施工の総合請負のできる体制に組み替えました。 新しいウェブサイトは以下の通り。 株式会社グラウンドデザイン]]></description>
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		<title>事業組合HP</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Jun 2010 06:10:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>M.T.</dc:creator>
				<category><![CDATA[Agriculture]]></category>
		<category><![CDATA[Information]]></category>

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		<description><![CDATA[事業組合のHPができました。 生産流通研究所OFFICIAL WEBSITE]]></description>
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		<title>「ゆる体操・高岡英夫氏の身体意識トレーニングを独習している人の日記」</title>
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		<pubDate>Tue, 01 Jun 2010 00:33:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>M.T.</dc:creator>
				<category><![CDATA[Body]]></category>

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		<description><![CDATA[私自身は（以前も書いたことがありますが）物事に取組んでいてふと投げ出したくなる傾向を持っていますが、その状態が出てきたときにこの「腹の奥の意識」を持つことで、かなり明確に精神を立て直すことができます。 （これは、以前に書いたもも裏や仙骨の意識よりも、格段に（最低でも数倍）効果が強い） 私自身は（以前も書いたことがありますが）物事に取組んでいてふと投げ出したくなる傾向を持っていますが、その状態が出てきたときにこの「腹の奥の意識」を持つことで、かなり明確に精神を立て直すことができます。 （これは、以前に書いたもも裏や仙骨の意識よりも、格段に（最低でも数倍）効果が強い） 「ゆる体操・高岡英夫氏の身体意識トレーニングを独習している人の日記「腹の奥」を使う恩恵は計り知れないものなのでは、と思いを馳せる」 より転載。） やはり、身体的なトレーニングで、精神を作り直すことができるのでしょうか。 ゆる体操と精神の関係について、自分自身は実感するところまで至っていませんが、もしかすると今年に入ってから以前と比べて、仕事面でのフットワークが軽くなったのも、昨年半年続けたゆる体操の結果、体の柔軟性が増したことに関係していたのかもしれません。 とはいえ、実は、当方今年の一月に膝の靭帯を痛め、それ以来ゆる体操をできていなかったために、その後、まったく成果が上がっていません。 ようやく怪我も回復してきたので、再びゆる体操のトレーニングを始めたいところです。 もうすこし実験を続ければ、すこしは感想めいたこともかけるかもしれません。]]></description>
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		<title>事業組合の開設</title>
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		<pubDate>Mon, 31 May 2010 12:22:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>M.T.</dc:creator>
				<category><![CDATA[Action]]></category>
		<category><![CDATA[Agriculture]]></category>
		<category><![CDATA[Design]]></category>

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		<description><![CDATA[昨年から、準備して来た地方の農産物の販路を開拓するための事業組合が動き始めた。 僕以外に、経験豊富な起業家4名がメンバー。 こちらも、貢献出来る様に、働かねば。 とりあえずは、ある品物のパッケージを含むデザイン、組合のためのウェブサイトの開設とデザイン、になりそうです。]]></description>
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		<title>マンフレッド・タフーリ著『建築神話の崩壊』</title>
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		<pubDate>Thu, 20 May 2010 14:16:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>M.T.</dc:creator>
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		<description><![CDATA[近代建築の運命は、近代建築自らが戦略上自主的に合理化の理念を担ったときに決定された。そこでは広範囲な政治や労働者階級の問題は、考慮の外にあった。合理化という命題が、歴史的必然を持つものであることはうなずけるが、近代建築がそれを目指したとき、もう先は見えていた。合理化という題目を必死に守る建築家たちを待ち受けていたのは、空しさ以外の何ものでもなかったのだ。 &#60;空しさ&#62;というのは、監禁され、出口なしの状態にありながら、いくら脱出を計っても無益だということである。近代建築の危機は、＜疲労＞や＜消耗＞の結果では決してない。それはむしろ建築が、イデオロギーレヴェルで有効に働きえなくなったということを意味するものなのだ。近代建築の＜失墜＞は、そのブルジョア的な両義性を否応なく露呈してきたことにその原因がある。すなわち近代建築は、絶えず、それ自体としての＜積極的＞な意思と、その情け容赦ない商品化という両極に引き裂かれてきたのだ。もはや近代建築にはいかなる＜蘇生力＞もない。それは、ついに何も語ることのない多重なイメージの迷宮をあてどなくさ迷うこともなく、また、幾何学の、おのが完璧さに自足した沈黙のなかに閉じこもることもない。 かくして、建築だけに限った範囲で、その取るべき道を云々して見たところで、無益なのだ。社会構造がそもそも建築デザインの性格を条件付けるのであるからして、その中で取るべき道を主体的に探るということはあり得べくもないことなのだ。 建築に向けられる批評は、そもそも建築それ自体に＜具体化された＞イデオロギーへの批評なのであって見れば、単なる建築の問題を超えて、ついには社会構造そのものの問題へと行き当たらざるを得ない。 そこにいたって初めて-つまり、建築という単なる一分野でものを考えようとする発想が乗り越えられたときに-、資本主義の新しい発展形態を模索する上での、技術者の新しい役割、建築生産活動をオルガナイズするものの新しい役割、プランナーの新しい役割について考えることが有効になるし、さらに、建築のような技術的で知的な労働が階級闘争にかかわる上での、避け難い対立を体験することもありうるのである。 資本主義の発展に絡むイデオロギーについての、様々な角度からの批評は、それゆえ、広く社会全般に関わるための第一歩なのである。そして今日、こうしたイデオロギー批評の主要な任務といえば、ばかげた、役立たずの神話-＜デザインへの期待＞という時代錯誤をいまだに許している神話-を根こそぎにすることにほかならない。 （マンフレッド・タフーリ著『建築神話の崩壊』P209）]]></description>
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		<title>設計中の住宅</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Apr 2010 13:00:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>M.T.</dc:creator>
				<category><![CDATA[Architecture]]></category>

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		<description><![CDATA[昨年の秋から設計している住宅の模型写真。 ちょっと柱がひん曲がっていたり、あるべき柱がなかったりするのは、ご愛嬌。。。。 事務所として利用されて来た平屋の建物を、二階建ての住宅へ改築する計画です。 外観は、単純な家型。 内部は、いくつかの異なるデザインの部屋を繋げる、 という構成を考えている。 完成したとき、 それぞれの部屋を採った写真を並べたら、一つの家とは思えないような、異質なデザインが同居するものになると思う。 設計図では、建物の全体像を一度に把握することができる。建築家はそれで、建築物の全体を把握して、一つの構築物にまとめあげようとする。 一方、実物の建物では、そんな単純な全体は存在しない。 外部と内部を同時に把握することはできないし、外観を見ること、食卓で食事を採ること、 あるいは、リビングで寛ぐことと、廊下を歩くこと、 それぞれは独立した経験である。 そこで、そのようなリアル建物での断片的な経験を、一つ一つ読み取りながら、住宅のなかの場面場面を作って行き、それらの場面を繋ぎあわせることで、住宅を作りだしたいと思っている。 当然、外部と同じくらい内部のデザインも重要なのだが、まだ見せられる材料がない。 おいおい紹介していきたい。]]></description>
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		<title>主要50雑誌の「部数激減（秘）データ」</title>
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		<pubDate>Thu, 18 Mar 2010 10:26:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>M.T.</dc:creator>
				<category><![CDATA[Architecture]]></category>
		<category><![CDATA[Media]]></category>

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		<description><![CDATA[主要50雑誌の「部数激減（秘）データ」 マスメディアの衰退を示す資料をネット上に見つけたので、リンクを貼っておきます。 これからは、マスメディアが衰退し、さまざまな通信手段を使った実にメディアが乱立する状態になるのではないか。 そして、いうまでもなく、マスメディアが作り出してきた「有名人」「スター」といった存在も消えていく。 建築界においても、それは同じ。 「新建築」や「GA」といった建築メディアが作り出してきた「スターアーキテクト」という枠がなくなっていく。 公共建築やファッション性の高い建物に「スターアーキテクト」を起用することによって、「建築を芸術作品化」してきたが、「スターアーキテクト」という枠が消えるとき、建築はどのように作られていくのか？ 結局は、これまで建築家を「先生」と呼んで、その業務領域だけは建築家に任せていたゼネコンが、すべての業務領域を支配することになる可能性が高い。 では、ミニメディアがつくる小さいコミュニティが新しい建築をつくるきっかけにならないのだろうか？ 小さなコミュニティが集められるお金は、コミュニティのサイズに比例するはずだ。 であれば、小さなコミュニティの中で住宅クラスの建物やその建設プロセスを含む活動などを「芸術」として、認定できるような小さいメディアを作り出す試みが必要だといえる。]]></description>
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		<title>2010年度 「建築農業工作ゼミ」トライアルワークショップ（工作編）＋ガイダンス</title>
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		<pubDate>Tue, 16 Mar 2010 09:45:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.K.</dc:creator>
				<category><![CDATA[Information]]></category>

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		<description><![CDATA[四谷アート・ステュディウムで建築農業工作ゼミのワークショップ＆ガイダンスを行ないます。 関心ある方は参加しませんか。 詳しくはこちら 建築農業工作ゼミ]]></description>
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		<title>四谷アート・ステュディウム-建築農業工作ゼミについて②</title>
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		<pubDate>Mon, 15 Mar 2010 07:48:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.K.</dc:creator>
				<category><![CDATA[Agriculture]]></category>

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		<description><![CDATA[少なくともぼくらにはふたりの自分がいる。そうオツムとカラダだ。カラダ。泣いて生まれ食って寝て、泣いてもがいて死んでいく。お別れだ。それが運命。それが自然法則。物質循環。エントロピー。巻き戻せない時間の流れ。宇宙の原子への帰還。動物、霊長類、自然的存在としてのぼくらのことさ。   オツムはというとコトバやモノやイメージやその他アレコレ作って使って、さしあげたりいただいたり愛し愛されこの至福のときが永遠であれと願うものさ。それが運命を切り開く自由。記号や物や情報にマネー。社会法則。交換社会。それさえ飛び越えどこへ行く。巻き戻せる自由な存在としてのぼくら。 生きるってこと、物質循環と社会的交換の途行きはかくも複雑ってことさ。本質的にそれはサバイバルだ。だからなんでもいつだって基本は手弁当。D.I.Y。でもしくみを知らないんじゃ七つ道具は揃わないぜ。衣着て飯を食らって家に住む。エレクトロニクスがそれをつなぐ。建築、農業、工作のことさ。]]></description>
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		<title>四谷アート・ステュディウム-建築農業工作ゼミ①</title>
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		<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 07:58:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Y.K.</dc:creator>
				<category><![CDATA[Agriculture]]></category>

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		<description><![CDATA[四ツ谷にある四谷アート・ステュディウムっていう美術学校で講師しています。いろんな人からすすめられて、ぼくもゆる～くさえずってみることにした。けれど、ゆる～くさえずる、なんてこと、鳥たちはしない、たぶん。だから、これは人ならではの奇妙なふるまいのひとつってことになる、さえずりは。 芸術も生活もなんやかんやでてんやわんや。おかげでなにがなにやらてんてこまい。いやはやまったくまいった。さてとこれからどうする？　迷うくらいなら途なき途を往け、きみの往った後にはぱっくり開けた深い亀裂が走っていたということさ。 ぼくが四谷アート・ステュディウムでどんなゼミを受け持っているかっていうと、建築農業工作ゼミという、舌を噛みそうで、しかもそれどころじゃなくて、なんだかてんでわからないまったくもって得体の知れなさそうなゼミだ。建築と農業と電子工作っていうんだから、どうしてそれが繋がったりするのさ。 て、いうことになる。そうおもうことはあながちあやまりだとはいえない。しかし、これが繋がるんだ。というか、本来無関係だとおもわれるものを意外な角度から繋げてしまう。それが四谷アート・ステュディウムの魅力だ。そのもっとも大胆なゼミが、このゼミ建築農業工作ゼミなのであります。 建築農業工作ゼミのブログ http://ken-nou-kou.blogspot.com/ 四谷アート・ステュディウムのゼミ紹介のページ http://artstudium.org/kouza_skill.htm このゼミの担当講師は３人。建築担当が中谷礼仁先生。言わずと知れた著名な建築史家。このTwitterもフォローしてくださっている。 http://www.nakatani-seminar.org/index.html 電子工作が福井裕司先生。この人は電気系、歯車系、エネルギー系なんでも知っていて、なんでも自分で組み立ててしまう。歩く技術教室。知る人ぞ知る恐るべきスーパー・エンジニア、建築家だ。こういう人がいるってことは世の中まだまだ捨てたもんじゃない、という証明になる。 で、農業担当が、このぼくってわけだ。ところが上の、というより下の（ここでは上だが）先生方と違ってプロ農家ってわけじゃない。本業は芸術家ってことになってる。数年前２年半ほど農家に住み込んで農業を学んだ。昼は畑。夜はシュルレアリスムの研究に明け暮れたもんさ。農業と芸術。これを繋げるのがぼくのしごとだ。 畑で土に塗れ、虫に刺され、蛇に噛まれ、風に扇がれ、雨に洗われ、ぼくにも生意気にもチョコッとわかった。つまりだ。農業っていうのは「一挙にすべてを知る技術」。これである。この「一挙に」というのが肝心だ。そして「すべて」があった。どういうことか。少しづつ書くからね、あわてないことさ。 ところで、建築工作だとしっくりくるけど、そのあいだに「のうぎょー」って入ると、なんだかイメージつきにくくてよくわからない。それに都会の真ん中、「四谷でのうぎょー？」って疑問は増々増すばかり。でもね、四谷怪談てのもあるんだからさ、四谷で農業もいいじゃない。まさに怪談、かもね。 でも四谷で畑耕すってわけじゃない。そんなことができればすごいけど。残念ながら、世間はなんでも切り分けられている。都会と農村、人工と自然、生産と消費、記号と物質、裕福と貧乏、持てる者と持たざる者。なんでも切り分けたがるのが人の悪い癖だ。 癖、ってことはつまり、それが人の本性だってことさ。本性であるからにはどうしたって人は切り分ける。切り分けることそれ自体が悪いってことじゃない。しかしだ。それがいったいどんな目的で誰にとって都合のいい切り分けかってことに思いを巡らす必要はある。知りたいのはそのしくみだ。 舌ったらず鼻タレの頃はそうとは知らずいろんなものわけて分解して無邪気だった。反抗期、分けることより分けられてることに反発した。おかげでオツムとカラダがあべこべの別個になっちまって，アソビとシゴトが噛み合ない。面倒だから見なくなった、既に切り分けられたものしかね、ってことになる。]]></description>
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